連載・コラム

【インタビュー】世界中を旅しながら制作・発行するドキュメンタリーマガジン「Studio Journal knock」発行人 西山勲さんの働き方(前編)

未来住まい方会議 by YADOKARI」より転載

海外アーティストたちの日常を写真と日本語/英語のバイリンガルエッセイで綴るビジュアルジャーナル『Studio Journal knock』。この雑誌は発行人である西山勲さん自身が世界各国を巡り、取材・撮影・執筆・デザイン・編集のすべてを旅先でこなし、現地からそのまま発行されている。そのユニークな仕事のスタイルやクオリティの高いコンテンツは、新しい働き方や生き方を模索する人々に注目され、徐々に読者の幅を広げている。

今回は『Studio Journal knock』の着想から創刊に至るまでの経緯や制作の舞台裏の話を中心に、仕事や生き方に対する姿勢や信念について西山さんに語っていただいた。

突然降り掛かってきた「死」からの転機

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23歳からグラフィックデザイナーとして就職し、4年後の27歳で独立。曰く「会社員時代の生活苦の反動で、物質的な豊かさに心を奪われていた」当時は自分の名前で仕事を受注できることが嬉しく、オファーはすべて断らない仕事三昧で不眠不休の生活を送っていたという。

そんな西山さんに転機が訪れたのは31歳のとき。そのころ慢性的に発症していた、じんましんを抑えるため服用していた薬でアナフィラキシーショックを起こして生死の狭間を彷徨った。
「集中治療室に運ばれ、目が覚めたときには家族が自分を囲み、親友たちも呼ばれ、コイツはもう死ぬんやろな、という雰囲気を漂わせていたんです」

そして西山さん自身も死を目の前にある現実として覚悟し、この瞬間に価値観が大きく変わることになった。
「このまま今の仕事を続けていれば、日々めちゃくちゃ忙しいけど、きっと生活には苦労しない。だけど我を忘れて取り組んでるこの仕事は、自分にとっていったいどんな意味があるんかな?と一歩引いて考える機会になりました」

人生を見つめ直すために向かった先はモロッコ

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「初めて生死について考えてたこともあって、今思うと少しセンチメンタルになってたと思うんですけど、独立時から仕事を手伝ってくれていた友人の影響で写真を撮るようになりました。この頃は写真や旅に纏わる小説とか雑誌ばかりを貪り読んでて、いつかカメラを持ってどこか知らない場所に旅に出たいっていう強烈な衝動に駆られてました。ほんとこのころは仕事が手につきませんでした」

そして2012年。2週間の旅程で安く手に入れた中古の中盤カメラ、ハッセルブラッドを抱えてモロッコへと旅立った。高校時代に1年間のブラジル留学経験はあったものの、ひとり旅は国内外含めて初めての経験だったという。 帰国後、現地で撮りためた60本のフィルムを持って写真の恩師の暗室に1ヶ月通い詰め、地元福岡のギャラリーで個展を開催。そのころから写真の世界に深くのめり込むようになった。

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「何で今までこんな面白いことを知らなかったんやろうと思いました。特に暗室でのプリント作業にはまってしまって。真っ暗な部屋の中で、引伸ばし機にフィルムをセットして投影した画像にフォーカススコープでピントを合わせるって作業があるんですけど、ピントの山を見つけた瞬間、旅先での記憶がギリッと生々しく蘇ってくるんです。その時から、旅をしながら写真を撮って生きていけんかいなと思うようになりました。」

「人生なんて本当に短いんやろなって感じてたんです。このまま、いただく仕事と一生懸命向き合っていくことも、とても尊いことなんですけど、時間はあっという間に過ぎていく。そのころの仕事がうまくいっていたこともあって、35歳にして大きく方向転換するのはどうかとも思ったけど、そんな不安も含めて新たなことに挑戦することにワクワクしてました。」
そんな西山さんが選んだのは世界一周の旅。出発日を1年後に決めた。その旅で何ができるか。模索の日々が始まった。

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タイのアーティストとの出会いがヒントに。『STUDIO JOURNAL KNOCK』創刊へ。

出発の日が半年後に迫った頃、西山さんはひとりタイへ取材旅行に出掛けている。
「友人のアーティストの紹介で、バンコクの若いアーティストが集まるギャラリーを教えてもらって。この頃には、自費でリトルプレスを発行しながら旅をするというアイデアはある程度固まっていて、そのコンテンツをどうしようかと模索していました」このタイでの取材が、西山さんの今後の活動の原点となった。「1週間くらいの滞在やったんですけど、灼熱のバンコクを歩き回って、やっとのことで見つけたギャラリーにすごく緊張して訪ねたのを今でも覚えています。」

「まずは自己紹介から始まって、訪問の趣旨を説明して……とやってるとビールがドンッと出てきて、まぁ飲もうよと。」
気づけば、バンコクで活動する若いアーティストたちが集まり西山さんを囲んで酒盛りが始まったという。
「アートの話から卑猥な話まで、裏も表もない彼らと話しているうちに、彼らの日常に少しだけ足を踏み入れることができた気がしたんです。」
さらに滞在期間中はアーティストの自宅で過ごすなど、取材の域を越えた関係を築いている。

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「創刊号の表紙を飾ってもらったゲッツォという画家と出会って、ずっと彼の家に泊めてもらってました。シャワーは水だけ、トイレも桶にためた水で流すような家やったけど、風が通って猫が3匹いて本当に穏やかな時間を過ごせました。近くに住む友人たちも集めて一緒に飯食って、夜は酒を飲んでギター弾いてテキトウに歌って、週末には彼らと長距離バスやトゥクトゥクを乗り継いで、有名なアーティストの自宅を訪ねる旅をしたりしました。タイでそうやって過ごした日々が、なんともエキサイティングで。あぁ、これだ!この体験をそのまま本にしようと思いました」

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本を抱えて書店をまわる地道な営業活動

いよいよ『Studio Journal knock/Thailand』が完成すると、刷り上がった書籍を背負って北海道から九州まで日本を縦断する営業旅行に出かけた。
「もちろん門前払いされることも多かったですが、背中を強く押してくださる方々にもたくさん出会えました。最終的には90店舗ほどまわって30店舗ほどに創刊号を置いていただきました。自分が作った本を、素敵なお店に置いてもらえることがあまりにも嬉しくて、オーナーさんや書店員さんと話してるうちに目が真っ赤になりましたもんね。すごいエモーショナルな営業の旅になりました。こんなに気持ちがあっちこっちに振れることはここ10年なかったなぁと」

営業活動中の新たな発見

西山さんはこれまで自己を発信することが苦手で事務所に篭って仕事だけをしていたというが、新しいことを始めるためには自分を売り込む営業は避けて通れない。
そう腹を括って動き出してみると、社会を変えようとする人たちの様々な活動の渦に自らも入っていくことができるのだということを実感し、出会いに感動することもあった。

「営業の旅をしているうちに、ひとつ収穫があって。これまで雑誌やウェブで活動を追いかけてた、つまり憧れてた方々とお会いする機会が何度かあって、そんな時にこんなことをやっていますと胸を張って自己紹介できること。今までそういったものがなかったんで、初めて自分に自信が持てた気がしたんです。なんの裏付けもないんですが、僕がしようとしてることは、絶対面白いことになるという確信を持ってたんです。アホですね。良い意味で」

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自分の進むべき道に向かってまっすぐ歩きだしたことで、西山さんは真の意味での生きることを取り戻し、いよいよ『Studio Journal knock』の取材のために2年間の世界一周旅行へと繰り出すことになる。(後編へ続く)

取材・文=大村佳子